歴史がすごい

1943年(昭和18年)11月、初代社長・来本善二郎が豊橋市萱町で「丸来紙店」として創業。和・洋紙類、理研光学工業(後の株式会社リコー)の感光紙など、店名が示す通り、当初は紙製品の販売が中心でした。当時の従業員は住み込みの店員が多く、今も当社に残るアットホームな雰囲気というものはこの頃から流れ続けているようです。この頃は複写機といえば、もっぱら青焼き機でした。戦後の復興期ということで、建設図面を複製するために青焼き機が一気に普及し、感光紙も品不足になるほどの売れ行きをみせ、感光紙を自転車の荷台にくくりつけてお届けする時代だったようです。やがて、自転車がオートバイになり、オート三輪へと変わり、世間の変化とともに少しずつ当社の業務も変わっていきました。
1955年(昭和30年)に理研光学工業(現・株式会社リコー)が複写機「リコピー101」を発売したのを機に当社も機械本体の取り扱いを始め、これ以降、紙製品から複写機中心の販売会社へと変貌を遂げていきます。(1963年に理研光学工業は株式会社リコーへ社名変更しました)

1964年(昭和39年・新幹線開通の年)二代目社長・来本弥が跡を継いだ頃、日本には高度成長期の建設ブームが訪れ、OA機器を幅広く扱う会社として東三河地域を中心とした多くのお客様から更なるご愛顧を頂けるようになっていきました。
1969年(昭和44年・東名高速開通の年)には、本社を豊橋市萱町から豊橋市下地町に移し、また岡崎市若宮町にも岡崎営業所を開設。これで東西の三河地域をカバーする拠点ができました。
1972年(昭和47年)、社名をミカワリコピー販売株式会社に変更し、岡崎営業所を岡崎支店と改めました。1976年(昭和51年)には岡崎市にも自社ビルを建て、1980年(昭和55年)からコンピュータ、通信機器の販売を開始しました。

今後ますます三河地域およびその近隣地域の皆さまに愛され、お役に立てる企業となるべく、社員一同一丸となって100年企業を旗印に研鑽の毎日を続けております。